2021年よ、こんにちは。

もう3月になったのに何を言っているんだ?って感じですね。

2021年がもう1/6も終わってしまいました。

 

ゆったりとした1月。

バタバタとした2月。

締めの3月。

まだ2020年の続きを生きているような感覚でのらりくらり生きています。

 

暮らしとその他目の前のことに追われ、

何者かになりたい自分への焦燥感と一旦決別して

4月からこうなったらいいななんて幻想にすぎない想像をしながら

暮らしている。

 

昨日の夜、ある知人のFacebookの投稿を見た。

 

私が出来たらいいなって思っていた活動に

彼女は挑戦していた。

 

私が、向いていないからやめよう、と

簡単にやめてしまったことに。

 

そこで気づいてしまった。

何者かになることを諦めている自分に。

その代わり、死にたくなることも無くなった。

何者でもないなら・・・と考えることは無くなった。

 

2020年の終わりは、

何者かになろうとしていた自分の終わりのようで。

すごく寂しくなった。

あこがれを憧れのまま置いておくことは、

傷つかずに済む。

振り返って吐き出して、

形を変えて折り合いがついてしまったあの夢は、

どこにいくんだろうか。

 

忘れてしまうのか?

大事に取っておいて、たまに見返すのか?

取り出して燃やしてしまうのか?

向き合って現実にするのか?

 

私にはわからない。

けど一つだけ言えるのはまだ消えていないということだ。

哲学と元カレの話。

「満たされたい」って、すごく危険な感情だ。

だって、自分ではどうにもできない。

誰かに満たしてもらわないといけないからだ。

自分でコントロールできないものは、

叶わないものばかりなのだ。

そんなことを考えながら、

そういえばマズローの五段階欲求ってどんなのだったっけなんて思っていた。

 

久しぶりに本が読みたくなった。

というか、読もうと思った。

 

そんな時に、思い出した笑顔があった。

 

私は、普段あまり本を読まない。

よく本を買ってしまうけど、あまり読まない。

だけど、読みたくなる時がある。

それは、気持ちが病んでしまったときだ。

 

そんな私の習性を知り、分かってくれたたった一人の人がいたことを

久しぶりに思い出してしまったのだ。

 

私が本を買った話をしたり

本を読んだ話をしたりすると

「お前、病むと本読みたくなるもんな」

って言ってくれた人がいた。

 

私は病むと、哲学チックな、自己啓発チックな本を買う。

そういう本を本屋さんで見つけると

「好きそう」と言う。

 

当時は、その会話を「自分のことを理解してくれている」と

捉えることすらできなかったし、

なんなら、そんな存在がいることがどれだけ尊いことかなんて知らなかった。

 

そいつの笑顔は今もう隣にはない。

当たり前だ、大切にできなかったんだから。

 

今夜のビールはいつもよりほろ苦く感じそうだ。

461個のおべんとう感想ルポ

※こちらの文章には、映画「461個のおべんとう」のネタバレが含まれます。

 

まとまっていないので、雑多に書きます。

でも大きくは分けます。書きたい順に。

①見た時の私の精神状態とその変化

②やっぱり道枝最高!

③干渉しないのに心温まる家族愛を表現

 

①見た時の私の精神状態とその変化

体調も良くなく、精神的にも最悪だったタイミングで、

「ずっと見たかったし、レディースデイだから」

というノリで、18時台の回に滑り込み。

ビールを飲みたかったけど、映画をちゃんと見れないと嫌だから、という理由で断念。

(アルコールを入れなかったので、ルポできるほど覚えてます。結果オーライ!)

心が熱くなるわけでもない、ハラハラもドキドキもないけど

じーんわり底の方からあったまる、ホットミルクみたいな映画でした。

見た後は、映画に集中できたスッキリ感で、

とっても気持ちよく帰れました。

 

②やっぱり道枝最高!

もともとドラマ「メンズ校」から、なにわ男子の演技は見ていたのですが、

道枝君が、今回の役がとっても似合っていて最高でした。

連続ドキュメンタリー「Ride on time」で

昔はだらだらしていた、とあったように

後ろ向きで何もしない主人公と重なるところがあったのかもしれませんね。

イケメンだし、それを誇張しないとってもナチュラルな演技が最高でした。

 

③干渉しないのに心温まる家族愛を表現

回想シーンも最小限で、場面が変わることじゃなくて

会話の表現とかでそれぞれの人間性が表されている感じが

平和な感じの映画でよかったように感じました。

最初、くどいなって思ったイノッチの歌唱シーンも

イノッチの生き方を映したような歌詞、

最初の方のこうきくんとの対称などで

すごくいい役割をしていたように思います。

お父さんが、意地を持ちながらも楽しさをもってやっている姿が

とってもかわいらしくて、

イノッチが直接愛情表現していたわけじゃないけどとても伝わってきました。

食べることは生きること。家族と生きる。

そんなテーマだと、「食卓」を思い浮かべることが多いけど

みっちーの成長(って表すと陳腐な気がするけどそれいがい浮かびませんでした)

と絡めているのもあって、

「おべんとう」という題材が選ばれたのが、

とても斬新でした。

 

最後に

ドラマ「姉ちゃんの恋人」で「衣食住兄弟」という言葉が出たように

食べることは生きること。

そんな当たり前のことにフォーカスする、

そしてそれに心温まる人がいる、

そんな時代なのかなって思います。

「希望を持って生きろ、だなんて、きれいごと言うな!!!」

っていうところまで荒れてしまった時代に、

毎日を丁寧に生きること、

あるものを確かめながら生きること、

そんなことを丁寧に伝える作品が増えていくかもしれませんね。

 

支離滅裂な文章を書いてすいませんでした。

 

超ポジティブな友達と余裕のある生活の話 -免許合宿が私にもたらしたもの-

これは、10月に行ってきた免許合宿の回想録である。

 

免許合宿の最初、

人と関わるのがめんどくさくて仕方なかった私は不機嫌だった。

 

マシンガントークを繰り出す友達。

私のリアル1週間分くらいの会話量をバスでかましてきた。

話をするのも聞くのも慣れていない私は本当に疲れてしまっていた。

 

そして、合宿所について、

いきなり予定が決まっている謎の生活。

そして、次の日の予定がわからない謎の生活。

ストレスも疲れも溜まっていった。

 

そして、追い打ちをかけた仮免不合格。

自分の思い通りにいかないことばかりだった。

 

この仮免不合格あたりから、

心持ちがどんどん変わっていった。

 

何が起きても超ポジティブな友達。

人と関わることによる、予想していないことの連続を

楽しい、と思うようになってきたのだ。

人と過ごすと、すべての時間が自分の思い通りに進むわけじゃない。

それが、面倒くさくて、疲れると思っていた。

 

いつからか、この生活が終わるのが寂しいと感じるようになってきた。

 

ルームメイトと最後の夜。

楽しそうに人のために誕生日を祝おうとするみんなの姿に正直感動した。

買い出しじゃんけん負けたときは絶望したけど

一緒に話してたら行きも帰りもあっという間だった。

意外と早く終わった大富豪。

盛り上がらなかった暴露話。

今思い出すとすべてがいとおしく感じる。

 

そして、持て余した時間で行ったうだつの町並み。

町並み自体は良くも悪くも期待通りだったけど、

あの日、体力を振り絞って言ってよかったと思った。

思い出が一つ増えた。

 

めんどくさくて無駄が多い日々は

思い出すと愛おしい日々だった。

 

昔、一人でいるくらいなら誰かといたいと思っていた。

それは依存をもとにしたものだったからよくなかった。

でも今は、自律した人間同士が共存して

めんどくさい無駄が生まれる生活を

すごく送りたいと思えているのだ。

子供な自分に腹が立った女の子の話

私は人間関係が怖い。

これは、大学4年生が終わりかける頃に気付いた。

気付いたというより再認識したのだ。

 

大学4年間、様々なコミュニティに属して

色んな活動に熱中してきた。

バイトもしてきた。

そして、色んな事が落ち着いて気づいた。

「私って友達いないんじゃないか」

 

別に、それは悪いことじゃない。

人それぞれだ。

だけど、私はその事実に猛烈な劣等感と孤独を感じたのだ。

 

自分の行動を振り返ってみれば、

友達がいなくても仕方ないと思う。

私の人と関わるスタンスを考えたら、

友達がいなくても仕方ないと思う。

そんなことはわかってるけど、

そんな自分をどうやって肯定すればいいかわからない。

色々自覚しているだけマシだとは思う。

だけど、その先の悟りの境地になかなかいけないものだ。

きっと共感してくれる人がいるかもしれないけど

こういう類の人間は、大体発信が苦手で、

世の中のどこかに埋まっているのだ。

発信が得意で、自分のことをうまく表現できたら

きっと気の合う人が集まってくるだろうし

気の合う人に対してもうまく自分を表現できるだろうから

そもそもこんな風にはならない。

 

ここまでの文章で友達がいないことは十分わかったと思うが

なぜ、「子供な自分に腹が立ったのか」にはまだ触れていない。

腹が立ったのは、今日のエピソードだ。

今日、友達と出かけたのだが

相手が自分のことをどう思っているのかがわからなさ過ぎて

不安で、うまく楽しめなかったのだ。

情けない話で、好かれたかったり、好かれなくてもいいけど

また出かけたいと思ってほしいなら

ある程度お互い楽しむ必要があるのは当たり前だ。

そして、相手を楽しませられるかは別として

そもそも自分が楽しむ姿勢は大事だろう。

そんな理性的なことが出来ない自分にとても腹が立ったのだ。

 

そして、また話が戻るが、

人間関係に悩むたびに、

人間関係で嫌な思いをしてきたことばかり思い出してしまうのだ。

昔から、自分がどう見えるかを計算してふるまうことが出来ない。

正しくは、計算してふるまっていたら疲れてしまうし

続かないのである。

ありのままの自分は好き嫌いがはっきりしていて超気分屋。

そして、排他的で人を見下している。

好かれるわけがない。

この前、あるセミナーの宣伝動画の編集のお手伝いをしたときに

「嫌われてもいいっていう人がいるけれど

それは、好かれる努力をしてから言え」

的なことを言っていた。

そのときは、その人が嫌われてもいいって言ってるんだからいいじゃんって

思ったけど

じわじわ後から効いてきて

確かにそうだなって思った。

 

もちろん、自分を偽る必要はない。

「ありのままの自分」的な価値観が最近広がってるし

流行関係なく、自分を偽ったり隠して苦しむ必要はないと思う。

だけど、相手との関係性に、もし自分が理想としている状態があるなら

ある程度それにもっていく努力も必要だと思う。

ありのままの自分と努力する自分の心地いい割合とか

ふるまい方とかは今は全く分からない。

だけど、

ありのままでいる自分が認められないことを嘆くだけ、

相手からどう見られるかを気にしすぎてしまうだけ、

になってないだけ、まだ一歩進んでいると思う。

 

盲目ともくもく

ジャニーズのファンクラブに入ってから約3か月。

ファンクラブに入ったことでリミッターが外れ、

月に1万円前後(もうちょいかな?)くらいのペースで

ジャニーズにお金を使っていた。

 

グッズを買い、有料配信を買い、雑誌を買う。

一人で家にいて憂鬱な日々を少しでも癒す投資だと思っていた。

 

やばいことに、それでは満たされない自分が最近出てきた。

どう満たされないか考えた。

もっと買いたいのか?もっと情報を手に入れたいのか?

そう思っていた。

 

だけど、先日劇場に弱虫ペダルを見に足を運んだことで、

求めていたことが分かった。

 

家で消費する娯楽に少しずつ飽きてしまっている、ということが分かった。

有料配信も、もう10回見た。

そのうち8回は、今月見ている。

その頻度で見たら、いくら大好きな人が出ている有料配信でも

「有料配信」というコンテンツ事態に慣れて、興奮度が下がってしまうのも仕方ない。

 

劇場で見た弱虫ペダルは、有料配信と同じ値段だったけど、

梅田に出て、時間を合わせて歩いて行って、

カフェオレを買って、座って、予告編を見て、暗くなって、

という、非日常の空間が楽しめた。

 

要は、楽しみの種類をたくさん持つことが必要だと感じたのだ。

 

日本のドラマや、ジャニーズのYouTubeが大好きで癒されているのは事実であるが、

「家で」「PCかスマホの画面越しに」「部屋着でコンテンツを消費する」

という点で同じだ。

 

そこに、劇場で映画を見る、興味のあるものでいいから本を読んでみる、

散歩をする、ご飯を作る、などなど。

無理のない範囲で種類の違う楽しみを持つ必要があると感じた。

 

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話が逸れてしまったが、題名を書いたときに書きたかったのは、お金の話だ。

 

楽しみの種類を増やすということは、お金の使いどころの種類も増えるということだ。

 

今までだったら、FOD、パラビ、Hulu、有料配信、の課金で済んだ。

あとは雑誌、グッズなどだ。

でも、本を買うお金、劇場で映画を見るお金、などが増えてくる。

 

そこで決めたことがある。

 

一旦、雑誌、グッズを買うのをやめて、

体験や本(勉強用)を買うお金に回す、ということだ。

 

今までは、盲目的に、ジャニーズは癒しだから、お金がある限り使ってOK!

って感じだったけど

これからは、今自分に必要な体験かどうかを吟味して使う。投資もしていく。

 

盲目的な使い方から、想像をもくもく膨らませた使い方へ。

 

お久しぶりです

おはようございます。

まだ8時です。

 

今までだったらこんな時間に起きてる人なんて

仕事がある人と魔法が使える人、くらいだと思っていた。

 

学生でこの時間に起きれたら苦労しない。

そんなことを思いながら、

11時のミーティングに出るのが精いっぱい、みたいな生活をしてきた。

 

最近、仕事が増えて、好きなことも増えて、

よくも悪くも忙殺されていると感じた。

 

学生生活最後の1年。

 

自分で作りだした1年。

 

本当にそれでいいのかわからなくなったけど、

本当にそれでいいのかを考える時間を持てない生活が再開された。

 

意味のない夜更かし

意味のない深酒

意味のない動画鑑賞

そんな、一般的に意味がないとされる時間を

なくすわけじゃなく、少し減らして

朝起きるだけで人生が変わるのでは?と思い

ずっと気になっていた朝渋に思い切って入った。

 

学生料金はあと2か月だけど

きっかけを作るのには十分だった。

 

まだイベントに参加してるわけではないけど

イベントに参加しようと思うだけで早く起きれるようになった。

 

結構だらだら動画を見て、2曲分(私はやる気と時間制限のために曲を流して家事をする。)の家事をして、ずーっとかけてなかったはてなブログを書くことが出来て、まだ8時15分だ。すごい。

 

そして、「早起きした日は、昼間どうしても眠くなったら昼寝しても良い」

という逃げ道が、ちょっとくらいだるくても一旦起きてみることに寄与している。

 

起きれるようになってきたら、今度はどのように有効活用をするか決めようと思う。

 

さあ、明日も起きれるかな。

 

P.S. たった2曲分部屋を掃除してこんなにきれいになるなら、毎日1曲分やったらかなり変わりそう。これは続けたいな。