子供な自分に腹が立った女の子の話

私は人間関係が怖い。

これは、大学4年生が終わりかける頃に気付いた。

気付いたというより再認識したのだ。

 

大学4年間、様々なコミュニティに属して

色んな活動に熱中してきた。

バイトもしてきた。

そして、色んな事が落ち着いて気づいた。

「私って友達いないんじゃないか」

 

別に、それは悪いことじゃない。

人それぞれだ。

だけど、私はその事実に猛烈な劣等感と孤独を感じたのだ。

 

自分の行動を振り返ってみれば、

友達がいなくても仕方ないと思う。

私の人と関わるスタンスを考えたら、

友達がいなくても仕方ないと思う。

そんなことはわかってるけど、

そんな自分をどうやって肯定すればいいかわからない。

色々自覚しているだけマシだとは思う。

だけど、その先の悟りの境地になかなかいけないものだ。

きっと共感してくれる人がいるかもしれないけど

こういう類の人間は、大体発信が苦手で、

世の中のどこかに埋まっているのだ。

発信が得意で、自分のことをうまく表現できたら

きっと気の合う人が集まってくるだろうし

気の合う人に対してもうまく自分を表現できるだろうから

そもそもこんな風にはならない。

 

ここまでの文章で友達がいないことは十分わかったと思うが

なぜ、「子供な自分に腹が立ったのか」にはまだ触れていない。

腹が立ったのは、今日のエピソードだ。

今日、友達と出かけたのだが

相手が自分のことをどう思っているのかがわからなさ過ぎて

不安で、うまく楽しめなかったのだ。

情けない話で、好かれたかったり、好かれなくてもいいけど

また出かけたいと思ってほしいなら

ある程度お互い楽しむ必要があるのは当たり前だ。

そして、相手を楽しませられるかは別として

そもそも自分が楽しむ姿勢は大事だろう。

そんな理性的なことが出来ない自分にとても腹が立ったのだ。

 

そして、また話が戻るが、

人間関係に悩むたびに、

人間関係で嫌な思いをしてきたことばかり思い出してしまうのだ。

昔から、自分がどう見えるかを計算してふるまうことが出来ない。

正しくは、計算してふるまっていたら疲れてしまうし

続かないのである。

ありのままの自分は好き嫌いがはっきりしていて超気分屋。

そして、排他的で人を見下している。

好かれるわけがない。

この前、あるセミナーの宣伝動画の編集のお手伝いをしたときに

「嫌われてもいいっていう人がいるけれど

それは、好かれる努力をしてから言え」

的なことを言っていた。

そのときは、その人が嫌われてもいいって言ってるんだからいいじゃんって

思ったけど

じわじわ後から効いてきて

確かにそうだなって思った。

 

もちろん、自分を偽る必要はない。

「ありのままの自分」的な価値観が最近広がってるし

流行関係なく、自分を偽ったり隠して苦しむ必要はないと思う。

だけど、相手との関係性に、もし自分が理想としている状態があるなら

ある程度それにもっていく努力も必要だと思う。

ありのままの自分と努力する自分の心地いい割合とか

ふるまい方とかは今は全く分からない。

だけど、

ありのままでいる自分が認められないことを嘆くだけ、

相手からどう見られるかを気にしすぎてしまうだけ、

になってないだけ、まだ一歩進んでいると思う。