ベクトルに悩む女の子の話
「あなたはどこに向かってそんなに頑張ってるの?」
大学生活で聞かれ続けた言葉で、自分も悩み続けていたことだった。
走り続けていて、全然見えていなかったものがやっと少しづつ見えてきた。
それは自分の行動の数なのか、質なのか全然わからないけど。
自分に少しだけ自信が出てきて、「行動したい」って思うことが増えた。
まだまだ引きこもりだけど。
そこで、次に私が向かいたいと思ったのが、社会だった。
弊団体に所属しているときに
「外に出るべきだ」
そんな言葉をかけられることは少なくなかった。
この言葉は何回も胸に刺さったし、悔しかった。
その時思うのは、
「外って何?私たちも社会変えたいと思ってるんじゃないの?」
確かに、弊団体にはあふれ出る内輪感があり、弊団体に所属していることは圧倒的コンフォートゾーンにいることかもしれない。
でも人を変えている。社会も変えうる。
その確信と実感があるのに、なんか閉塞感がある。
変えたかったけど全然変わらないし変わっていない。
覚悟を決めた私は、採用以外にできることって何だろうか?あるのだろうか?
社会っていう軸で何かこの組織に還元できることはあるのだろうか?
自分が進んで社会に出てソーシャルイノベーターとしてのキャリアを築くのか?
でも逆にそんな覚悟もないのに、人任せで社会に目を向けろって言っているのは違うよな、とも思った。
その一方で、自分の今について考えてみた。
今、自分の可処分時間を何に使っているだろうか?
どう考えても、怠惰な普通の大学生をしている。
将来にも自分にも社会にも向き合っていない。
やっぱりアイセックがないと動かない。
やっぱり、いまのちっぽけな私にとってアイセックは大事な自己実現の場であるのは確かだ。
その一方で、
自己実現の場としてのアイセックが社会から隔絶されている感覚
自分にとっての自己実現の最適解なのかわからない感覚
早く何かを成さなければと無駄に生き急いでいる感覚
いろんな感覚やそれに対する葛藤が私の覚悟の邪魔をする。
私は弊団体の人間として、リソースを使い倒して土台として、
社会に対して愛を叫ぶことができるのだろうか。
今ある制限の中で、自分にその覚悟はあるか。
誰のせいにもせず、愛を叫ぶ覚悟があるか。