自分の生き方に疑問を持った話。
こんばんは。leaf6です。
最近のテーマは自立です。
共生の前提には各人の自立があることを悟ったため、目指しています。
日曜のイベントからずっと疑問に思ってることがあります。
利他的に生きるって何?って。
人を受容して生きるのとどう違うの?って。
きっかけは、イベントで究極の利己の話になったこと。
「どんだけ利己的に生きようと思ってても、誰かが転んだら手を差し伸べちゃうもん、私には無理だって思った。」みたいなことをある方が言っていて考え始めました。
調べてみました。
利他:自身の利益を顧みずに他の個体に利益をもたらす行動をとること
受容:(心理の文脈で)相手の存在そのものを受け入れること
らしいです。
いきなり自分の話になりますが、
私は”利他的ではないが、人を受容して生きている”と思っていました。
私はどうしようもなく利己的な人間であり、
だから、せめて人を受容して生きようとしていました。
ある性格診断テストでも、”愛情”ってワードが強みに反応するくらいには
愛のある人間だと思っていました。
でも、今回のきっかけで思ったことが2つありました。
一つ目は、利他でも利己でもいい、自分の生きたいようにバランスをとればいい、ということ。
でも、このアウトプットはあまりに思慮が浅いので可変的であると思っています。
二つ目は、自分の生き方はただの八方美人ではないかということ。
自身を悲観したいのではありません。
もしかしたらそうかも、っていう一種の危機感を抱いたまでです。
人に合わせてうなずいて、笑って。
全然人に向き合ってない。
利他でも利己でもいい。受け入れなくてもいい。
でも、人とは関わっていきたい。向き合っていきたい。
たとえそれが、私が憧れているようなあったかいものでなくてもいい。
きっと覚悟がいるんだろうけど。
利他と受容から考えたこと。終わり。