本気で感情を大事にしている人に出会った女の子の話

「感情を大事にすること」

これは、時に大事で、時に物事が進むことを阻害するものだと捉えています。

 

感情が物事を止めてしまうことを多く経験した1年間によって

私は、自分の感情にどんどん鈍感になっていったことに今まで気づかずにいました。

 

今回は、その話と、そんな方々が私にしてくださったFB、

気づけて本当に良かったと思うことを忘れないように書いておきます。

 

まず、人を傷つけてしまった話。

「こういわれて本当に傷ついた」

「本気で作っている人がいるものをそんな言い方しないで欲しい」

そんな風に言われた。

びっくりした。半年前は言っている側だったのに。

「私はこれを大事にしている、そこにはこういう論理もある、だからこうさせてほしい」

この声が届かなかったあの瞬間から、

合理性と妥当性を求めるようになった。

「2020年までの方針は共同幻想、夢を見ていただけだった」

と、棄却された中長期方針は、

哲学を守りながら圧倒的にマーケットインな方針に変わりつつある。

インターンでも、「データは?」って聞かれて必死にデータと論拠を作る日々だった。

 

そんな中で感情を大事にしたい気持ち、

感情を大事にして発言することはなくなっていった。

 

これはその人を傷つけた言い訳には全くならない。

だけど、得たものの代わりに何かを失う感覚を持った気がする。

 

二つ目、100点を出せない話。

 

自分ならできるのにやろうとしないこと。

ざっくり言うとこんな感じだろう。

具体的なエピソードがないと忘れてしまいそうなので、一つだけ。

80点で諦めてしまう自分が嫌だ。どこか自分にはできないとか思ってしまう。

そんな話をしたときに、

「出来ないから諦めてるんじゃない、

出来ると思ってるしたぶんできるんだろうけど始めてないだけだよ。」

「どんな大きさのことでも、始めるのには勇気を伴うからね。」

それ以外にも色々話をして気付いたのは大きく2つ。

①頑張り始めてできないのとか、無駄足になるのが怖くて努力を始められない

②頑張らない癖が完全についてしまっている

普段から意識して、気づいたら”やるモードに入って頑張る”しかない。

そんな具体的なアドバイスも頂きました。頑張るぞ。

 

3つ目はプライドの話。

「何かを注意したときに、先に自分の言い訳するよね」

「私だったらまず謝るね」

確かに、って思いました。

今回だけではありません。なぜ自分が悪いのに謝れないのか。

なんで私は誰かの指摘を受け止めることが出来ないのか。

そんな風に思いました。

指摘されるのは痛い、その痛みを自分に課すのが嫌だからなのかな、と思いました。

でもこれはこのままでは一生成長しない。

言われたことは一旦受け止める、悪かったら謝る、言いたいことがあったらあとで言う。

当たり前だけどすごく大事だと思いました。。。

 

このコミュニティに出会って、普段気付けないことが気付けた気がします。

学生生活であとどれくらい関われるか分からないけど、出来ることはしたいと思いました。