似た者同士の「泣きそうな彼」と「私」の話
戦意喪失した一人の男の子が私のもとに来た。
委員長の選挙で負け、執行部の面接で落ちた。
全部一生懸命だったけど、不十分なことは頭ではわかっていた。
至らなかったところを直視してみた。
そしたら苦しすぎて逃げ出したくなってしまった。
そして、いまは戦う元気がない。
それが彼の本音だった。
そんな彼に対して私がかけた言葉は
「失くしたもの、手に入らなかったもの、
生み出したいけど生み出せなかったものではなく、
今、持っているもの、応援してくれる人、頑張ってきた足跡を見なさい」
簡単に言えばそんなことを言った。
ひたすら「元気出して」という旨の言葉をかけながら、
私は特大ブーメランが返ってきている気がして、とてももやもやしていた。
そう、私も似たような状況だった。
就活をはじめ、マスコミ(テレビ)を受け始めたが、1度も合格はもらっていない。
ESで全落ち。
そんなに私は面白くなくて、文章が下手か?
阪大法学部で取得単位数128、レポートでの単位の成績はB以上、阪大の入試の国語は6割、平均点3割の魔の校内のテストで現代文だけ毎回平均点を超えていた。
いや確かにおもんないかもしれない。
けど、文章は下手な覚えはない。
文章を否定されているのか人間を否定されているのかも分からず悶々としていた。
だけど分かっていた。
頭では分かっていた。
テレビ局で働く解像度が低いのも
収集できる情報を収集していないのも
ESを1人の目にも触れさせず、FBを受けていないことも
カメラを目の前にするとテンションが4割減くらいになってしまうことも
全部わかっている。
でも直視したら死んでしまう。
そんな私は完全に戦意喪失し、マスメディアを受けるのをやめようとしていた。
そんな中、戦意喪失している泣きそうな彼が来た。
「旗を掲げたら戦えるのに、なぜこの人は戦わないんだろう」
「なぜそんなに失くしたものばかり見ているんだろう」
「なぜできることを出来る範囲でもいいからやらないんだろう」
そんな風に思った。
それはきっと、はたから見た私も同じだ、そう心から思ってしまった。
そして、私たちが幸せなのは、それを気づかせてくれる優しいひとが周りにいること。
この気づきと、気付かせてくれる優しい人への感謝を胸に。
多分これから、泣きそうな彼と私は水を得た魚のように頑張るのではないでしょうか。