「逃げた記憶」と「手が届かないもの」

遠回しには言わない。

 

私にとって、マスコミの就活は、

「逃げた記憶」と「手に届かないもの」でしかなかった。

 

MBSに1次で落ちたあの日、目の前が真っ白になった。

フィードバックは動画に関することだけであった。

もしかしたら、他の曲でエントリーシートを出していたら受かったのかもしれない。

 

しかし、私にはそんな勇気も元気もなく、やめてしまった。

 

私にとってテレビ局でのテレビ制作は憧れである。

別に制作会社でもいいじゃないかって思うかもしれないけど、そうじゃない。

私は大きいところでテレビを動かしていきたいんだ、と思っていた。

 

でも、恐らく私の中に、世の中を変えられるようなエンタメの才能はたぶんない。

努力をしているわけでもない、努力する才能もない。

 

テレビ局に入って仕事をすることを今でもたまに妄想したりする。

 

新卒の切符を使えばかなえられることだったのかもしれないのに、

私はその挑戦をやめてしまった。

 

私はいつまで挑戦しないつもりだろうか。

最近のこと。

書いているうちに意見が変わるかもしれないけど、私は

「コロナウィルスは嫌(たくさんの方が苦しんだり亡くなったりするから)

だけど、コロナウィルスで変わってしまった生活は悪くないと思っている」

のです。

 

コロナウィルスでの変化は、もう大きく一つ、外出が出来なくなったこと。

それに付随して色んな変化がありました。

(自分の整理のために書き出してみることにします。)

変わったこと

①飲食のバイトがなくなったこと

→お金が減ったけど、バイトに取られる時間も無くなった

②自炊をするようになったこと

→コロナにかかったときに死にたくなくて必死に栄養を取っている。少しだけ自炊のレパートリーが広がった気がしている。

③外食飲みに行くことがなくなったこと

→一人でご飯を食べることに対する寂しさが激減した。誰かが誰かと一緒にいる姿を目の当たりにしなくていいのが大きいのかもしれない。

④知り合いと会うことがなくなったこと

→自分からコンタクトを取りにいかないと、人との関りがなくなっていくことに気付いた。最初は寂しかったけど、今はその距離感が心地良い。

 

 そう、③と④が、自分を苦しめていた点で、それから解放されたので、今は一人で気楽に暮らせているのだ。

誰かと一緒にいたいけど、いたくない。

そんな自分のわがままが、普段は、誰かと一緒にいる人を見てストレスとなっていた。

だけど、このコロナ禍で、物理的に人と距離を置くことになって(スーパーにカップルで来ている意味わかんない奴らは除く)、劣等感や羨ましさからくるストレスにさいなまれなくなった。

一方で、自分から連絡をとるくらい大切な人たちとは、時間があるし、オンラインでできるし、気軽に繋がれてすごく嬉しい。

 

自分のペースで生活しながら、人に触れたいときだけ触れられる。

この楽な距離感が、「コロナも悪くないな」って思わせてくれるらしい。

私の熱狂歴史。①

眠れないある夜、大好きなアーティストのYouTubeを見ていた。

その時に、ふと思った。

私って、ずっと応援している人たちはいないけど、

その時々で熱狂している人はいたな。

それを歴史形式で思い出したら、自分の中のエンタメにおける共通点とか

新しいワクワクがあるんじゃないか、と考え、書くことに至りました。

 

時系列ではぐちゃぐちゃになる気がしたので、アーティストごとに行きます。

 

西野カナさん

推定時期:中学校いっぱい

最初に買ったCDは、西野カナさんのThank you,Love。

そして、Distanceを美術の題材で使った。

西野カナさんの曲は、カップリングまで全部わかって、好きな曲は歌詞も覚えているみたいな感じだった。

カラオケでもいつも歌っていた。会いたくて会いたくては、昔は流行り、みたいな文脈で歌っていたけど、大学生になって恋愛するようになって、歌詞と重なり合う部分があって、それが大人になったような感じがして楽しくて歌ったりもしていた。

 

YUIさん

推定時期:中学校~引退されるまで

自分の青春はこれ。

お金さえ使わなかったものの、全てのアルバムを借りて聞きこんでいた。

昔、タイピングの練習を兼ねて歌詞カードを作っていた時期があって、

その時に一番作っていたのはやっぱりYUIさんの曲だった。

引退されてからは音楽を聴くくらいになったけど、

大阪に行くときに、Tokyoの曲の意味が分かって少し嬉しかった。

 

BUMP OF CHICKENさん(以下バンプさん)

推定時期:中学校後半~高校半ばくらい

バンプさんも、YUIさん西野カナさん同様、全てのアルバムを借りて聞きこんでいた。

特に、宇宙飛行士への手紙、バトルクライ、宝石になった日、の曲が好きだった。

ファイターは、私がバンプさんのことを好きだって知っていた2月のライオンファンの友人が、ファイターと3月のライオンのコラボのCDをくれた。

そして、愛用しているTSUTAYAで中古のCDを見つけて購入。

確かそれは地元をでる直前だった。

 

SEKAI NO OWARIさん(以下セカオワさん)

推定時期:中学校中盤~高校前半くらい

ドはまりしていた時期があったのがセカオワさん。

ENTERTAINMENTは、DVDを買ってしまったほど。

印象的だったのは出会いで、中学校の時の陸上部の友人が、

「世界の終わりにハマってるんだよね」って荷物のところで会話しているのを聞いてしまい、「世界の終わり」という単語がパワーワード過ぎて家で調べてみたのが始まり。

 

RADWIMPSさん(以下ラッドさん)

推定時期:高校いっぱい

きっかけも何も覚えていないが、気付いたらまた全部のアルバムを借りて聞いていた。

特に、君と羊と青に関しては、いつもカラオケのしめで歌っていた思い出の曲だ。

個人的には、「愛し」が好きで、歌詞をホーム画面にしていたような覚えがある。

 

こちらが、中学高校に黄金期を迎えたアーティストさん達。

表記を調べながら、懐かしい曲をたくさん聞いて、懐かしくなった。

ちなみに、さん付けしているのは、いつか芸能関係で働いて、この記事が何かの拍子でばれてしまっても失礼の無いように、という気持ちが込められている。

普段からも、絶対に会いたいと思っている芸能人には、(違和感のない範囲で)呼び捨てには絶対にしないようにしている。

就活事後談。

「経験は、何度も自分の中で文言化することによって価値になる」

こんなようなことを言っていた友達がいた。

その時から、自分が頑張ったり、大変だったりしたことを、

何回も、その時の自分に合わせて文言化することを実は心がけている。

このブログは、そのためにあるんじゃないかな、って思う。

 

今日書くのは、就活について。

もっと大変で先の見えない時期にその苦しみを書いておけばよかったな、って思ったけど、その時は苦しくて、先が見えなくて、文章なんて書く気にならなかった。そんなもんだ。

 

私は、人材系のメガベンチャーへの就職が決まっている。

正直にいうと、自分の中では、80点の就活だった。

「及第点だけど、満点じゃない」

ってずっと言っている。

 

残りの20点分のもやもやが5割も今日晴れたので、その話をしたいと思う。

(ってことは90点になったね!)

 

私は、実はテレビ局に行きたかったのだ。

エンタメの力で、たくさんの人を救いたい、そう思っていた。

 

だけど、全て書類選考で落ちてしまい、意気消沈していた。

 

「就活するために、自分は1年延ばしたんだ」

という決意は、いつの日にか、自分への重圧に変わっていった。

 

典型的な、就職を目的にした就活が始まったような気がした。

今日久しぶりに就活のノートを見返すと、そこには落ちたくなくて必死だった自分がいた。

人事に聞かれて答えられなかったことを必死に埋めていた。

きっと本音も本音じゃないことも混ざっていたんじゃないかな、って思う。

 

そんな苦しい就活の中、唯一ずっと信じていたのは、自身の嗅覚であった。

学生団体では、私の感覚は理解されてこなかった。

そりゃ人間、根拠のないものに対して、議論するのは難しいわけだから当然である。

でも就活は違う、自分の人生だ、そう言い聞かせて大事にしてきた。

 

そして、最初に内定がでた、今の会社に決めた。

その会社に決まったことを話して、信頼している社会人に

「本当にいい会社だし、合ってると思う」って言われたときは、肯定されたみたいで嬉しかった。

結局自分の選択を信じ切れていないのかもしれない。

 

そして、どんどん今日の話に戻していく。

困っていることを聞かれたときに、エンタメ業界の未練の話をした。

そしたら、「エンタメ業界で今後必要になりそうなことを妄想して、それにつながる業種を会社の中で選んだりしたらいいじゃん」って言われた。

ご本人は、もしかしたら思い付きだったかもしれないけど、今までの中で一番頭がクリアになった答えだった。

 

そして、テレビの話をさせていただいた時に、シンプルに面白い、って言ってもらえた。

私なんて、引きこもりの少しヲタク気質のあるテレビ大好きマンでしかないと思っていた。

でも、そのヲタクな熱を帯びた私のエンタメ・マスコミ業界の話が面白かったらしい。

「今後、テレビ局が再放送すべき番組と、それにつけるべきスポンサーとかを考えてnoteとかに書いたら需要あるんじゃない?」とか言われてはっとした。

好きを生かして仕事をするとか、発信するとか、自分にはできないと思っていた。

だけど、ビジネスの視点で、大好きなテレビを見ている私は、その掛け合わせで価値を埋めるんじゃないか、と少しだけ思えた。

もちろん全然甘くないと思うけど。

 

このご時世、挑戦したいことに外に出て挑戦できない。

家の中にいるだけだ。

有益に過ごしたもん勝ちみたいな発信に嫌気が差していた。

そりゃ、目的もなにもないのに、ただ有益に過ごすなんて無理だ。

だけど、今、少しだけ見えた光に沿って、

世の中に伝えたいことを整理したり、

自分の目から見ているテレビ業界を言葉にしてみたり、

そんなことができるのは今なんじゃないかって思った。

 

人生悪くない、私はまだ、進める。

「なんだかんだ良い」はかけがえのない日常だったことに気付いた女の子の話

蛍池駅のホームで、涙が溢れ出して止まらなかった。

5分後、電車が来て、顔に残った涙をとりあえず拭いて電車に乗った。

 

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昨日は、バイト先の仲間の最後の出勤日だった。

 

4年前、千里中央駅の中で一番給料が高いから、という理由だけで選んだバイト先。

全然馴染めなくて、友達もできないだろうと思っていたバイト先。

 

そんな中、大学1年生から4人の同期が途中で辞めずに働き続けた。

 

仲良くなったのは、4年生の9月くらい。

初めて5人でご飯に行った後、次の月に遊びに行く計画をした。

 

そこから、ご飯、クリスマス会、卒業旅行。

たくさんの大事な行事をそのメンバーが埋め尽くしていった。

 

それだけじゃない。

休憩時間や遊びの合間にカードゲームで白熱した戦いを繰り広げていた。

 

私は、人間関係に、過度な期待と、過度な諦めがあった。

自分に合う人とだけ付き合うべきで、合わない人と無理して一緒にいるのは無駄だ、っていう価値観だ。

間違ってはいなかったけど、私の中で、その価値観は現実と乖離していたことに気付いた。

そもそも100%合う人なんていない。

そして、ある程度気が合わなくても、ずーっと一緒にいたら、影響されて似てきたり、

相手の会わない部分を許容できたりする。

そして、人は変わる。

 

そんな当たり前のことが、感覚的に理解できずに、「合う」「合わない」を判断した上に、「合う」人に対して、ぴったり合うことを求めていたりした。

 

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出勤して、最近どう?から始まって、バイト中に困難を一緒に乗り越え、

時には、バイトのことからそれ以外のことまで愚痴る。

休憩の時に一緒にスーパーに行って、一緒にご飯食べながら話す。

早く戻ってこい、とか言われる。

 

そんな何気ない、「なんだかんだ良いな」って思える日常は、

とってもかけがえのない日常なんだ、ということに、

この日常が無くなる今の瞬間まで気づかなかったのだ。

 

そして、気付いたその時、蛍池駅で号泣した。

家に帰ってからも、感情の整理が終わるまで泣き続けた。

 

泣き疲れて寝たときには、午前2時だった。

 

そして今日、アルコールの残る重い体でこの文章を書き、

涙で腫れた目で、この文章を読んでいる。

三日坊主でもいいから、三日間だけでいいから頑張る力が欲しい女の子の話。

調子の悪いときは、誰でもあるだろう。

体の調子が悪い時、心の調子が悪い時、色々あるだろう。

 

今は、心の調子が悪い時。たまにある。

 

燃え尽きて、次の挑戦を何をしたらいいのか分からなくなって、途方に暮れる。

途方に暮れている自分が情けなくて、誰にも相談できない。

自分で何とかしようと思うけど、何をしたらいいか分からない。

 

そんな生活があり、そんな生活から抜け出した一か月が、ここにつづられています。

https://leaf6leaf.hatenablog.com/entry/2019/05/23/173322

 

薄々、心の調子が悪いのには気づきながら、自分で何とかするエネルギーもなく過ごしていました。

毎日、家でコンテンツを消費し、数少ない予定に出かけていく。

不安だらけの新しい挑戦が2つ。

始めたいけど始まらない挑戦が1つ。

そんな宙ぶらりんでどうしようもない生活を送っていました。

 

分かってるんです、本を読んだり、自分で何か想像するチャンスがある時間だってこと。

ずっと憧れていたギター。

興味があるデザイン系のソフト。

読みだしたらハマる本たち。

卒業前にあっておくべき人。

(ちなみに心から会いたい人とはいつでも会えると思ってしまっているのだ)

私がやりたいこと、今後のために挑戦したいこと、たくさんあるはずなのに。

最初の一歩の解像度が低い。

そして、一歩目を考える勇気も、わかっている半歩目に踏み出す勇気もない。

 

こんな生活の中、あるお世話になっている社会人の方と話した。

その時、今文章を書いているように、たくさんの気付きを得た。

そして、少しだけ行動する勇気が出た。(今の自分を文字に起こすくらいには。)

 

今の私には、もしかしたら付け焼刃かもしれないけど、

ほんの小さなきっかけになるような、

三日坊主でもいいから、

三日間だけ頑張れるエンジンを、ずっと探していた。

そのエンジンが自分の中にあって欲しいと願いながらもがいた。

残念ながら、今回はそのエンジンは自分の中になかったみたいだ。

 

せっかく積んでもらったエンジン、燃やして走るぞ。

非日常が苦手だった女の子の話

突然ですが、皆さん、非日常って好きですか?

 

私の言う非日常は、ディズニーランドに行く、修学旅行、とかです。

基本的には行く系のことを言っています。

 

昔から苦手でした。

 

具体的に言うと、大きく2つありました。

ひとつめは、そもそも、楽しくない非日常が多かったこと。

小学校の時の遠足、野外活動、修学旅行。

中学の時の遠足、修学旅行。

楽しくなくて思い出に残ってるのが、小学校の時の明治村と野外学習。

友達がいなくて、自由行動が苦手でした。

小学校だから、班ごとだったから、まだよかったけど、

そもそも小学校の時の班なんて、学級委員と班長出来レースだった。

思い出すだけで嫌だ、くじ引きでよかったのに。

 

ふたつめは、「また来れるからいいや」と、その場を楽しむのを諦めだしたこと。

もしかしたら、楽しくなかったからでしょうか。

非日常の楽しみ方が分からなかったんです。

非日常は絶対に楽しい、魔法の空間だと勘違いしていたのがきっと一番の原因。

非日常にも、思い通りにいかなかったり、疲れてイライラしてしまう瞬間がある。

魔法の空間じゃなかった時に、期待値とのギャップに失望して、楽しめなくなる。

そんなことが繰り返されたんでしょう。

 

何でこんなことを書いているかというと、今回非日常が楽しかったから。

大人になって、心許せる、一緒にいて楽しい人としか過ごさなくなった。

経験が増えてきて、期待値が合うようになった。

欲がなくなって、そもそもの期待値が下がった。

こんな感じで、どんどん楽しいイベントが増えていったんだと思う。

 

楽しい一週間が終わってしまった寂しさと、実家に帰ると色々思い出してしまう感傷を

この文章に昇華させて。また日常を丁寧に重ねていく。