もう2020年1/6経ったことに戦慄する女の子の話
タイトルに無駄にパンチを効かせましたが、
普通に1,2月の振り返りです。
就活の話を改めて記事にする元気が今はないので、ここで軽く触れます。
カレンダーを見る前の私のこの2か月の感想:
まじで何もしてない2か月だったわ、ヤバイ
カレンダーを見た後の感想:
普通の大学生な感じだな
そんな感じだったので、普通に時系列に整理していきます。
①1月1日~10日くらい
実家に珍しく、7日まで滞在し、ひたすらゲームとテレビに興じていました。
あらゆる向き合うべき現実から目を背けていたように思います。
②1月11日~22日くらい
22日にあった、激重の2つのテストのためにひたすらテスト勉強をした10日間でした。
実際に頑張ったのは、おそらく15日くらいからでしたが、両方とも単位とれました。
③1月23日~2月2日くらい
バイト、バイト、バイトの約10日間でした。
今から顧みるととてもよかったと思います。
今後、東京に移動したりして軍資金が必要になる日が来る、と思っていました。
ナイス先見性。
1月29日の変に関しては、どこかで書きたいな。
*1月29日の変
バイトで電車に乗る直前の改札を通った瞬間に、
いいところまで選考が進んでいた会社のお祈りメールが来てメンブレし、
バイト先で大泣きする事件。
④2月3日~14日くらい
最終面接まで余裕なさ過ぎて病むの巻。
楽しいこともたくさんありました。家族旅行とか。
バイト先の子と遊ぶとか。
だけど、それ以上に、2月14日に控えていた最終面接が不安で仕方ありませんでした。
たくさん考えて、たくさん内省して、壁打ちしてもらって。
また、他の企業の説明会にも挑戦していたのがこの時期だけど、
受けなかったり、落ちたりしました。
メンタル死にながら、行った最終面接も、「条件付き内定」みたいな感じで、
エージェントの方から「キープされてるだけだ」と脅され、
もうメンタル限界でした。
⑤2月15日~26日くらい
ノロで倒れて、アイセックを引退するという怒涛の1週間。
東京で食べた牡蠣にやられ、韓国の旅程を短縮。
行った先の韓国では、胃が痛くて全然余裕がないところに、
過剰なまでの友達からの菌扱いに疲弊しました。
からの、アイセックの卒業。
エモい言葉もしゃべらせてもらえず、飲み会もできず、
あっけなく終わった4年目でした。
③2月27日~現在
2月27日の面談で、晴れて正式な内定がでました。
そして、内定承諾をさせていただきました。
とても心に余裕が出来たのと同時に、
「自分は本当に、今向かう先で生きたいのだろうか」
ということが全然分からなくなりました。
そして、その気持ちが、最後の一年間の挑戦を駆り立てました。
これから始まる挑戦と、これから始まりそうな挑戦にワクワクすると同時に、
いつになっても「本当にこれでいいのかな」って思う瞬間は付きまとうんだな、
って実感しました。
今までは、「県で一番の学校に来た!正解!」
「関西に住みたくて、国立に行きたかった。大学、正解!」
って感じだったけど、今後はそんな風な簡単な意思決定ばかりじゃないんだな、って
実感しました。
あと、人生の中で挑戦できることって思ったりより少なくて、
「あれもやりたい、これもやりたい」って思うけれど
実はそんなにできることは多くない。
だから、今年は「ピンと来た挑戦しかしない」って決めています。
新しい分野に挑戦するのは怖いけど、
自分の限界を決めずに、感性を信じて戦う年にしたいな、って思います。