散歩しながら人生を考えた話

箕面駅まで散歩をしてみた。(往復2時間近くかかった笑)

阪急箕面線の線路沿いに歩いた。

 

その町並みは、見たことがない感じでとても新鮮だった。

 

地元にはない、密集した小柄な一軒家たち。

少し大きな道沿いに並ぶ、おしゃれな美容院やご飯屋さん。

たまにある、大きくもないし、安くもなさそうなよくわからないスーパー。

信号がなくても渡れてしまうくらいの4車線道路。

 

ここには、もしかして、私が想像できなくて、

想像している範囲では捨てようとしている暮らしがあるのではないかと思った。

 

私は、将来、静かなところに一軒家を構えて、ささやかな幸せとともに生きていくようなライフスタイルはあまり想像していない。

 

暮らしは、仕事の延長線上、仕事が一番大事、

私にしかできない仕事ができるようになりたい。

 

そう思っていた。

 

もちろん、二律背反ではないのは知っている。

ここに住んでいる人たちは、梅田とか本町に出て、

バリバリ働いて、箕面線の遅くない終電に滑り込んでいるのかもしれない。

 

けど、昼間の静かさからは、そんなことは想像できなかった。

 

そして何より思ったのが、

私が想像する、絵にかいたような生き急いだ人生は本当に幸せなんだろうか。

 

世の中の役に立つけど、ある程度誰にでもできる、たくさんの人ができる仕事に就き、

適度に人のためになりながら、家庭を持ち、愛し、時間を共にする。

私は、一体何者になりたいんだろう。その生活ではたぶん満足できない。

そして何より、ステレオタイプの幸せを掴むことを簡単だとまで思っている。

思い上がりもいい加減にしたいところだ。

 

メモしたかった感情をメモできたので満足した。

でもあまりにも支離滅裂なので、まとめてみる。

 

自分の中での幸せの定義を、あいまいでもいいから、言葉にすることが必要なのかな、と思う。

そして、それを言葉にするとき、得やすさや体裁を気にしたくないと思う。

得やすさは人によって違うし、その幸せをどう思うかも、価値観次第だ。